真言宗智山派 須賀山鏡智院

東福寺

行事案内

寺が勤修する行事は、全て檀信徒様の菩提(則ち仏様)を弔う事であり、祈願成就を願う心意に沿う式典として行います。
亡くなった檀信徒様を弔うことの始まりは、亡者を前にして拝む枕経。
お通夜式と葬儀式を勤修したら、亡者は荼毘(火葬式)に伏して頂いて、当家菩提墓地に埋葬となる。

現代では、即日埋葬となる事が少なくありませんが、以前には四十九日忌日当日の埋葬が当然であり、遺骨は四十九日忌日当日に四十九日忌の追善供養と、白木位牌で奉られていた御霊を本位牌へ入魂する入仏開眼法要を勤修し埋葬していたんです。
現代では、遺族となる方々の生活仕様が大きく移り変わった事から、亡者が此の世に別れを告げる四十九日間に寄り添い喪に伏す生活が難しくなって、遺骨が即日埋葬となる亡者は増えてきたんです。
遺骨は即日埋葬として、四十九日間はセレモニーが貸し出す祭壇に白木位牌と仏具を整えて、毎日の朝夕に香を手向ける事が供養するご遺族との約束となる。

入仏開眼法要をしない白木位牌のままにしては、『新盆法事』の供養をしてはいけない。
本位牌への入魂入仏供養をしないと、御仏壇に奉ってはいけない。

令和5年、少子化が問題化されて来て20年を経ている現代に、お墓終いや仏壇終いを考えなければならない時期が来ているんだろうか。
生まれた時代に沿う生き方を選びながら、生きる事を与えられた万物全ての生力が此の世其の世をつくりだしている。
時代が移り変わるのは、万物全ての命に輪廻生死があり先逝く先代の生きていた証が次世代に繋がれて、新たな生力が生まれて活かされて時代をつくりだす。
時代の輪廻生死と観念することです。
輪廻生死、輪廻転生は人だけを指してはいない。

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仏壇にもお墓にもお位牌にも、それぞれ奉り方や御参りの仕方があって、代々受け継がれる世代交代を当たり前と観念されて来ていたことが、家族が一世帯づつに離れて暮らす「核家族」形態が広まる事になって、親と離れ住む中で冠婚葬祭の礼儀は崩れ始まって、更には家族の話し合いや助け合いが個々思う思いを優先して来ていた結果、親から子に受け継がれて当たり前とされていた仏事は、受け継がれる場を失い『仏事を知らない』子供ら次世代は、冠婚葬祭の礼儀を学ぶ機会も失って「親が死んだら、云々」となり、先代となる親が死んだ時点から戸惑いが始まって、喪主施主になっている自身の役目を知る事から学ばなければならなくなる。
世間隣人の付き合い方にある冠婚葬祭の礼儀や、先祖代々の当家菩提を預け奉る菩提寺との付き合いは親任せにしてしまうのが、現代人の暮らし方になっているのかもしれない。
『菩提寺』と『檀信徒』であるのに、自身の先祖代々の仏を奉る菩提寺を尋ねられる事があっても、「えッ?知らないです」と答える次世代は数多くいます。

老若男女は生活のしやすい環境を選ぶ事から、親や先祖と離れて暮らす『核家族』になり、自分本意の形態を正当化させようと模索している次世代が見え隠れしている。
『核家族』になり親子の和合が薄れる中で、先祖と冠婚葬祭の礼儀を任される親達は、今、輪廻生死を妨げるかのように仏事の全て終おうとしている。