東福寺について
成り立ち
史跡 須賀山鏡智院東福寺
須賀山鏡智院東福寺は、真言宗に属する寺である。歴代住職の口碑によると、仁安2年(1167年)頃、この地に疫病がひろがった。同年3月、たまたま東国巡錫の天台の高僧 徳一僧正がこれを知り住民の訴えに答えて、一堂を平山(現在の平山青年館敷地)に建立した。ここに手刻した薬師如来を安置し、7日間の祈りを捧げ、疫病を消除した。
その霊験に感歎随喜した住民が僧正に、この地に開山することを願った。このことを知り領主 千葉常胤(1135~1201年)は、現在地に自ら伽藍を建立し、大檀那として深く帰依し、薬師如来を千葉氏の守護本尊とした。
後に本尊は大日如来に変わったが、経緯不詳である。
天正6年(1578年)には千葉邦胤(1557~1585年)が当山の薬師堂での時の住職から灌頂(一儀式)を受けた。寺紋の月星と九曜星は、千葉氏の家紋と同じである。寺と千葉氏との深い縁を示すものである。
平成11年3月
東庄町教育委員会 東庄郷土史研究会
現在のすがた
長い歴史をやさしく見守ってきた東福寺。
東福寺の「今」を動画で紹介します。

日本に密教を広めた弘法大師空海の尊像は、全国行脚の行者姿で立つ。
遺す書に『生まれて生まれて生まれて、死んで死んで死んで』『地獄も極楽も此の世にある』と。
生誕1250年、令和5年此の世に継がれる輪廻生死の教えにある。
須賀山鏡智院東福寺ご本尊様『大日如来尊像(胎蔵界主尊)』『弘法大師尊像』『興行大師尊像』『不動明王尊像』『十二神将』等々、歴史の永さを観る尊像と什物が此処当山に奉られている。
須賀山城城主が建立した寺と構えた品々は、五十七世の住持職者を継いで奉られて、信仰する檀信徒様はご守護されて信心する合掌の力に歴々代々未来永劫護られてゆくだろう。


秘密の呪文を説く宗派寺院(当山)は檀信徒様のご逝去に伴う供養全般と、生きて辛く苦しい難儀を消除することの祈願祈祷の護摩焚行を行うのが住持職者(住職)の勤めであり務めとなる。
1月、大護摩会
お不動様の護摩札を護摩を焚く妙火に煽り、祈願祈祷の呪文を唱えて檀信徒様の成願成就を促す行事。
(不動堂損壊のため、現在は行う事ができません)
2月、節分(当山の寺行事にはありません)
3月春彼岸会、カレンダーにも「彼岸入り」「彼岸明け」と書かれている。春分の日が「中日」です。
9月秋彼岸会、此もカレンダーに「彼岸入り」「彼岸明け」と書かれている。秋分の日が「中日」です。
「彼岸入り」から「彼岸明け」までの7日間の内、「中日」だけ国民休日の赤日ですね。
此の日は、平安初期朝廷にお墓参りが始まって、後の江戸時代には国民行事となり現在でも彼岸のお墓参りが仏事となっている。
仏教のアラカルト、一項に上げられる「お墓参り」は仏事であり国民行事です。
仏事は、誰かに強制されているもので無いが、大切にしたいと思う気持ちが極めた時、人は言葉を失い涙が溢れて拭う手は合わせられて掌に留まる姿になります。
(感謝の姿、陳謝の姿、後悔懺悔の姿が合掌の姿です)
仏事は、自身の心意を形にされてきた行事です。
お盆は、7月と8月を地域によって違いがありますが、どちらも13日迎え日(焚火)~16日送り日(焚火)は変わりません。
当山は8月13日送り日として、お預かりする檀信徒様のご先祖様を盆桃燈と道灯をつけて送り出します。

檀信徒様方は、ご先祖様をお迎えする『迎える日』です。
送り出した檀信徒様のご先祖様は、8月16日を迎え日として道灯をつけて御迎えすることを行います。 檀信徒様方は、ご先祖様を送り出す『送る日』です。
東福寺参道から境内を照す盆桃燈は、7月13日~8月盂蘭盆の間仏の宴を静かに照らします。
当山では、7月13日~8月12日の期間を檀信徒様の新仏初盆供養を本堂にて行う事として、檀信徒ご当家様へお通知を送らせて頂き、『新盆法事』を勤修致しております。
当山檀信徒様の声に表れる生活環境を鑑みて、始めた当初から喜んで頂ける『新盆法事』となりました。
8月13日は、ご参詣者皆様へ『盆供養の御札』と寺布施をお配りしております。
(毎年朝9時~檀信徒総代が、準備を整えてお待ち致しております)